伝統工芸

加賀象嵌 ─中川衛

日常の風景を、デザインの視点で抽象化、深くほのかに発色する金属の陰影が生み出す世界。

展示の見どころ

「加賀象嵌」の制作過程を解説。金属の配合による色の違いや、完成までに必要な象嵌部分のパーツを実寸で並べることで、幾重にも金属を嵌め込んで制作する「加賀象嵌」という技法だからこそできる表現の魅力を間近でご覧いただけます。

風景の遠近や立体感を有機的な線で表現する中川衛さんのデザイン力にも注目。具象から抽象表現へと落とし込む方法論を紐解き、体感していただけます。

「デザインは身近なところにある」という持論をもつ中川さんは、どのようにデザインを発想しているのでしょう。その源をご紹介。「デザイン」をする人も、見る人も、新しい視点をもつことができるでしょう。

普段、触れる機会の少ない加賀象嵌の技法で制作された金工作品に直接触れ、金属が底から発色する様子を、肌感覚をとおして感じていただけます。

<取材記>展示企画クリエイターが、中川衛さんの工房を実際に訪ね、加賀象嵌の魅力をレポートします。

使用されているのは金、銀、銅というおなじみの金属。これらの配合を変えながら、輝きの濃淡を自在に調整し、深い陰影の文様を生み出す中川衛さんの作品は、金沢に伝わる伝統工芸「加賀象嵌(かがぞうがん)」の技術がベースになっています。

その作品を初めて見たとき「なんて有機的な存在なのだろう」と、本展覧会の企画班一同は、不思議な気持ちになりました。ともすると冷たくなりがちな金工作品なのに、丸みを帯びた地金に幾重にも並んだ極細の線には手のぬくもり、連続する陰影のグラデーションには吸い込まれそうな奥行きが感じられます。

こうした心に響く文様は、どのようにして生み出されるのでしょう。
金沢の工房を訪ね、工程を見せていただくことで、いろいろな理由が見えてきました。
なかでも、展覧会企画班が注目したのは、試行錯誤を繰り返してきたことで習得した熟練の技術とともにある、「デザインの視点」。わくわくしながら世界を眺めて文様へと落とし込む中川さんの発想力とデザイン力があるからこそ、熟練の技術が活かされ、美しい世界観が表現できるのです。

地の金属を削るための道具、鏨(たがね)と、削ったあとにはめこむ金属片。鏨も手作りで、作品ごとに文様にあわせて製作されます。

まずは「象嵌」とその技術についてご説明します。
「象嵌」とは、「象(かたど)」って「嵌(は)」めこむという名前のとおり、地金を削ったところに、違う金属を埋め込むことで、文様を描いていく技法をいいます。
中川さんの得意とするのは、さらに複雑な技術を必要とする「重ね象嵌」です。

重ね象嵌を説明するために制作したプレート。

重ね象嵌をどのようにして制作するか。中川さんは図を描きながら説明してくれました。

重ね象嵌とは、一度施した象嵌の上から、さらに象嵌を行って文様を描き出す技法をいいます。
1.5ミリの厚さで地金を削って金属を嵌め込んだあと、その金属を今度は1.3ミリで削って違う金属を嵌め込みます。次に削るときは1.0ミリ、さらにその次は0.4ミリというように、回数を重ねるごとに削る深さを調整して金属を嵌め込んでいきます。金属はそれぞれに硬さが違うので、一筋縄ではいきません。また、嵌め込んだ金属がはずれないように底の部分を広げて掘り、その上から金属を打ち込む技術も必要になります。そうすることで打ち込まれた金属が底の部分に広がり、抜けにくくなるからです。中川さんは、こうした技術を、失敗と成功を何度も繰り返して習得してきたそうです。

金属を嵌め込んだあとは、面を平らにする磨きの作業、さらには、緑青と硫酸銅を入れた煮色液の中で煮る発色の作業と続きます。

使用する金属は金、銀、銅とそれらの合金。この3つの金属の配合を変えることで、発色のしかたが変わってくるので、どういうパーセンテージで、どのように組み合わせるかを、レシピのように何度も配合を調整して研究してきたといいます。

ベースになっている器物ももちろん金属で、銅に銀と少量の錫(すず)を配合してつくられます。
「銀を入れると、底のほうから深く光ってくるの。金属を塗り重ねて塗装するのみだったら、金属の上に塗装が乗っているだけ。でも、象嵌の場合は金属を“発色”させる。だから、奥のほうから光って見えるんです」

ほのかに発色する金属がつくりだす文様を「陰影の表現」と中川さんは考えています。限られた色から生み出す光と影の世界は、中川さんのデザインの視点でどのように表現されるのでしょう。

大阪の電機メーカーに勤めていたときに、中川さんが描いたデザイン画。

ここに三枚の絵があります。これらは金沢の美術大学でデザインを学んだのち就職した大阪の電機メーカーで、中川さんが描いたものです。加賀象嵌に出合う前、3年間、会社勤めをしながら工業デザイナーとして活躍していた中川さんは、とくに男性用の電気製品を得意としていて、こうしたデザイン画を日常的に描いていたそうです。

加賀象嵌と出合ったのは29歳、大阪から金沢の実家に戻って、県の工業試験場で伝統産業の技術指導をしていたときでした。訪れた展覧会で、江戸時代に加賀藩でつくられた馬具、鐙(あぶみ)を見たことがきっかけで、当時、ふたりしかいなかった加賀象嵌の技術継承者のひとり、高橋介州さんの門を叩きました。
当時の気持ちを「とにかくおしゃれだと思いました。こんなものがあるのか、どうやってつくるか知りたかった。自分のデザインへ活かしたいと思っていたんです」と中川さんは振り返ります。

旅先で出合った風景のスケッチ。ここから何度もスケッチを繰り返し、抽象表現へデザイン化していきます。

中川さんの作品には、旅先で目にした景色から得たインスピレーションをもとに考えられた文様が多く描かれています。
対岸の町並みを照らすトルコの夕景、ストックホルムのカラ松林と湖、ブルガリアの平原、徳島の渦潮、夕日に照らされたマンハッタンの高層ビルなどもデザインへと落とし込みます。その際、具象を抽象へと変化させ、デザインとして構成していく作業が絶対必要だと、中川さんは考えています。そうするために、スケッチを何度も繰り返して線の数を極端に削ぎ落とし、簡素化していくのだそうです。

抽象化されて簡素化されたデザインに、ほのかに発色する輝きが日に照らされた木と影をつくりだし、さらにその奥にある木の存在を感じさせてくれるのでしょう。限られた色だからこそ、見えてくる色もあるように感じられます。

「抽象にすることで、見ている人がいろいろなことを思う余白ができる。山を山のまま描いたら、それは単なる山。本物の山を見ればいい。そうではなく抽象にして、デザイン化したら、昔、登った山、旅行した山など、見る人がそれぞれ自分の山を感じることができるんです」と中川さんは言います。

こうしたデザインのアイデアは、旅先の自然風景だけでなく、日常の生活のなかにもいろいろなところにインスピレーションの源があるといいます。たとえば、「餃子」「風呂敷のつつみ」「柿の種」「すいか」「キャラメルのつぶれた箱」などから、デザインを思いつくことも。はたしてそれはどういった形になるでしょう? 

中川さんは言います。
「プロダクトデザイナーをやってなかったら、伝統は古いものを踏襲するもの、そういう考えのままだったと思います。今は武士がいる時代ではないから、その当時のままのものをつくってもしかたありません。伝統的な技法を使って、時代に合わせた新しいものをつくっていって、残っていくのが伝統。今の若い人たちにも、新しいことをどんどんやれといっています」

本展覧会では、加賀象嵌の制作工程とともに、中川さんのデザインの源と、そこから生まれた実際の作品をご鑑賞いただく構成となっています。
深くほのかに発色する陰影の表現は、生で見てこそ。
加賀象嵌の魅力とともに、デザインすることのおもしろさ、そしてわくわくしながら新しい表現に挑戦し続ける中川さんの姿勢も感じていただくことができるでしょう。

プロフィール

伝統工芸

加賀象嵌 中川衛

1947年石川県生まれ。彫金の技法のひとつで、石川県に伝わる伝統工芸「加賀象嵌」の第一人者。その経歴は異色で、金沢の美術大学でデザインを学んだのち、就職した大阪の電機メーカーではプロダクトデザイナーとして活躍。29歳で加賀象嵌に出合い、当時ふたりしかいなかった加賀象嵌の技術継承者のひとり、高橋介州に弟子入り。石川県工業試験場で伝統産業の技術指導の職に就きながら、加賀象嵌の技術を学ぶ。伝統的な技法を基礎としながら、幾重にも金属を重ねて精緻な美を生み出す「重ね象嵌」の技法で表現の幅を広げ独自の視点でベースとなる器物、文様をデザイン。革新的で叙情性あふれる作品をつくりだしたことが評価され、2004年、重要無形文化財「彫金」保持者(人間国宝)に認定。現在、精力的に作品制作に励むとともに、金沢職人大学校、金沢卯辰山工芸工房などで後進の育成にも力を注ぎ、技術の普及に尽力している。
出演記録映画 | http://www.polaculture.or.jp

クレジット

取材・編集 : 岡田カーヤ
写真 : 秋山まどか

見どころ

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